この本は、当サイトのやり方を批判する側に立っています。当サイトのシミュレーターはリスクを標準偏差(値動きのばらつき)で測っていますが、本書はその測り方を明確に否定します。せっかくなので、その批判が当サイトの計算で何を意味するのかを確かめてみます。
投資で一番大切な20の教え〈賢い投資家になるための隠れた常識〉
The Most Important Thing
| 著者 | ハワード・マークス |
|---|---|
| 訳者 | 貫井 佳子 |
| 出版社 | 日本経済新聞出版 |
| 発行 | 2012-10-24 |
| ページ数 | 320ページ |
| ISBN | 9784532355395 |
著者はプロ向けに書いている
先に断っておくべきことがあります。本書はインデックス投資を否定していません。むしろ第1章で、平均的なリターンならインデックス・ファンドを買えば誰でも得られる、と明言したうえで、その先を目指す人に向けて書かれています。
投資の目標は平均的なリターンを得ることではない。平均を上回るリターンをあげることだ。
— 第1章
つまり市場に勝とうとする人のための本です。積立でインデックスを買う読者にとって、本書の実践的な指示(バリュー投資、逆張り、掘り出し物探し)はそのまま使えるものではありません。
それでも読む価値があるのは、リスクの捉え方とサイクルの見方の部分です。この記事はそこに絞ります。
リスクとは何か
本書の中心命題は第5章にあります。
いや、ここで断言しよう。「リスク」とは何よりもまず、資金を失う可能性のことである。
— 第5章
著者は、学者がボラティリティをリスクの代名詞にしたのは「客観的な数字が必要だった」という便宜上の理由にすぎないと切って捨てます。実務家は「価格が乱高下しそうだから買わない」とは言わない、と。
そして、リスクは主観的で、目に見えず、定量化できないと続けます。
結論を言うと、未来に起こりうるリスクのほとんどは主観的で、見えにくく、定量化できないのである。
— 第5章
これは当サイトの立場と真っ向から対立します。当サイトは期待リターンと標準偏差を置いてモンテカルロ・シミュレーションを回しているからです。では、この批判をどう受け止めるべきでしょうか。
検証: 期待リターンを固定して、リスクだけ上げる
本書のもう一つの主張が手がかりになります。第5章で著者は、リスクが高い投資とは「リターンの確率分布の幅が広い」投資であり、その幅は上だけでなく下にも伸びると述べています。教科書的な右肩上がりの図が「リスクを取れば儲かる」という誤解を生んだ、というのが著者の批判です。
そこで、期待リターンを固定したまま、リスクだけを上げたらどうなるかを計算しました。
| 項目 | 設定 |
|---|---|
| 毎月の積立額 | 5万円 |
| 積立期間 | 20年 |
| 期待リターン | 5.0%(固定) |
| リスク | 10% / 15% / 20% / 25% |
| 試行回数 | 1万回 |
上位10%はリスクとともに伸びていきますが、下位10%と中央値は逆に沈んでいきます。数字で見ると次の通りです。
| リスク | 中央値 | 下位10% | 平均 |
|---|---|---|---|
| 10% | 1,991万円 | 1,374万円 | 2,090万円 |
| 15% | 1,877万円 | 1,091万円 | 2,091万円 |
| 20% | 1,732万円 | 860万円 | 2,091万円 |
| 25% | 1,564万円 | 671万円 | 2,088万円 |
平均は動かないのに、典型的な結果は悪化する
この表で最も重要なのは平均の列です。リスクを10%から25%まで上げても、平均はほとんど動いていません。期待リターンを固定しているので当然です。
ところが中央値は427万円下がりました。平均が変わらないのに中央値が下がるのは、分布が上に長い尾を引く形(対数正規)になるからです。ごく一部の大成功が平均を押し上げる一方で、真ん中にいる人の結果は悪くなる。
つまり「リスクを取れば平均的には報われる」という言い方は、あなたが平均の人ではない限り正しくないわけです。
元本割れ確率で見ると
著者の言う「資金を失う可能性」をそのまま数字にすると、こうなります。
拠出した1,200万円を20年後に下回る確率は、リスク10%なら3.7%ですが、リスク25%では34.6%まで上がります。差は30.9ポイントです。
期待リターンは1円も変えていません。 変えたのは標準偏差だけです。
自分の数字で試す
実験本文の数値は固定です。ここで変えても記事の結論は変わりません。「記事の前提」と「あなたの条件」を並べて表示します。
| 項目 | 記事の前提 | あなたの条件 |
|---|---|---|
| 中央値 | 1,991万円 | 1,991万円 |
| 下位10% | 1,374万円 | 1,374万円 |
| 元本割れ確率 | 3.7% | 3.7% |
| (参考)拠出総額 | 1,200万円 | 1,200万円 |
期待リターンは 5% で固定しています。動かしているのはリスクだけなので、「リターンを諦めた分だけ安全になる」という話ではありません。あなたの条件は 4,000 回の簡易計算のため、本文(1万回)と末尾がわずかにずれることがあります。
自分の積立額・期間・リスクで試せます(本文の数値は月5万円・20年・リスク10%のまま固定です)。
批判をどう受け止めるか
ここまでの計算は、実は本書の批判に半分しか答えていません。整理します。
著者の指摘のうち、当サイトの計算と両立する部分があります。「リスクが高いと分布が下に伸びる」という主張は、上の元本割れ確率がそのまま示しています。標準偏差と損失の可能性は対立概念ではなく、同じ分布のどこを見るかの違いです。標準偏差は分布の幅、著者の言うリスクは分布の左裾。だから当サイトのシミュレーションからでも、著者の言うリスクは読み取れます。ただしそれは、中央値や期待値ではなく下側を見た場合に限られます。
両立しない部分もあります。著者が本当に問題にしているのは、「そもそも将来の分布の形を、われわれは知らない」という点です。当サイトは期待リターンとリスクという想定値を置いて計算しています。その想定値自体が外れていたら、どれだけ精密に計算しても意味がない。著者はそこを衝いています。
数学的な要素が入ると、眉唾ものの売り文句にも、しばしば過剰な説得力が生まれる。
— 第5章
これは当サイトのようなシミュレーターへの警告としても読めます。計算結果の桁数が多いことは、前提が正しいことを何ら保証しません。 当サイトが使っている想定値と根拠はデータの透明性レポートで公開しているので、納得できなければ数字を変えて回してください。それが上の what-if ボックスの役割です。
検証できないもの
本書の柱のうち、当サイトで扱えないものもはっきりさせておきます。
サイクルと振り子(第8章・第9章)。市場心理が陶酔と沈滞の間を揺れ、その振れ幅が機会を生むという主張です。
空に届くまで伸びる木はない。また、ゼロになって終わるものもほとんどない。
— 第8章
当サイトのシミュレーションは各期間の値動きを互いに独立な乱数として扱うため、そもそもサイクルという構造を持っていません。この主張を検証する道具を当サイトは持っていない、というのが正直なところです。
逆張り(第11章)も同じです。タイミングの判断を伴うものは、当サイトの前提の外にあります。
この本の読みどころ
投資判断に直接使える本ではありませんが、自分が何を「リスク」と呼んでいるかを問い直させる本です。とくに次の指摘は、積立を続ける人にも効きます。
投資リスクは、最もリスクがないと思われているところで最も高くなっている、と私は確信している。逆もまたしかりだ。
— 第6章
価格が上がり、誰もが安心しているときほど、その後の損失の可能性は高い。当サイトの計算では表現できない種類の洞察です。
なお本書は同じ趣旨の記述が第5章・第7章・第17章・第20章に繰り返し現れます。著者自身が「はじめに」で断っている構成なので、通読しなくても第5章と第17章を読めば中心はつかめます。
この記事の限界
- 上の計算は期待リターンを固定してリスクだけ動かしたもので、現実の資産クラスでは両者は同時に動きます。本書の論点を取り出すための単純化です。
- 期待リターン5.0%・各リスク水準は当サイトの想定値であり、将来を保証しません。むしろ本書の主張は「その想定こそ疑え」というものです。
- 本書は2011年の原著の全訳で、他の投資家のコメントが入った版(The Most Important Thing Illuminated)とは別の本です。本文はすべて著者本人の文章です。
- 本文が参照している図表は電子書籍版に収録されていません。上のグラフは当サイトが独自に計算したもので、本書の図の再現ではありません。
出典
- ハワード・マークス著、貫井佳子訳『投資で一番大切な20の教え 賢い投資家になるための隠れた常識』日本経済新聞出版、2012年10月24日、ISBN 9784532355395 — 本文中の引用の出典(出版社の書籍ページ)
- データの透明性レポート — 当サイトの想定値とその根拠
- 積立実験室の計算方法 — モンテカルロ・シミュレーションの仕組み